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さあ、ヨガをはじめよう♪

2009/01/23 11:39

 

 

ヨガについて、難しい話もたくさんしてきましたが、ヨガってなんか興味ある。やってみたい・・・・と思ったら、さあ、ドキドキしながらとりあえずヨガを始めてみましょう!

 

私は、身体硬いし、今まで全然やったことないし、運動も好きじゃないし、大丈夫かしら?

 

誰しも最初は不安があります。

 

では、ヨガレッスンって大体どんなことするのかしら~・・・・・?ってお話をしてみましょう。

 

いろんなタイプのヨガがあるし、ヨガ自体のスタイルや先生の個性によってもレッスンの仕方は大きく違います。

 

いわゆる、アシュタンガヨガ・パワーヨガ(ホットヨガ)・ヴィンヤサヨガ、などと呼ばれるものは、最初からしっかりと身体を動かすことを重視するので、身体を動かすのが好きな人、アスリート系の人、身体を動かすのが苦でない人に向きます。また比較的運動量が多いので、脂肪燃焼などのダイエット目的や代謝のUPにつながりやすいです。
身体を動かすのが好きな人は、初めての人でもこういったタイプのヨガが好みに合うかと思います。

 

アイアンガーヨガと呼ばれるのものは、身体を隅々まで、論理的に解剖学的、運動機能学的に動かしていきます。Propと呼ばれる道具(ベルトやブロックなど)を使いながら、今の身体の状態に出来るだけ負荷をかけない状態から、徐々にポーズを深めることで、身体の深層部分にアプローチする手法です。
基本や理論もしっかりと学びたい人、身体の正確な動かし方などに興味がある人、身体に気になる故障や問題を抱える人、ゆっくりと徐々に身体を動かしたい人には、このスタイルが向くようです。

 

リラックスヨガ、アロマヨガなどは、身体を動かすことを重視するというよりは、ストレスを解消し、身体をリラックスさせる、緊張や身体の不快感を軽減させるということを重視するので、仕事帰りにやってみたいとか、夜就寝前のヨガとしてお勧めです。

 

そのほか、マーシャルアーツ(武道)の要素を取り入れたヨガやダンス(トランスダンスなど)の要素を取り入れたヨガ、陰陽理論(精神性)をベースとしたヨガなど身体を動かすという要素を強調するヨガは、すべて「ハタヨガ」と呼ばれるヨガの種類です。どういう要素がミックスされているかは、そ先生の好みによります。

そういう要素がミックスされることで、よりヨガを楽しいと感じられることもあるし、難しいとかんじる人もいるかもしれませんが、好みで選べばいいと思います。

 

スタイルはいろいろですが、すべて好みの動かし方で身体を動かすことで、精神や身体を浄化していくという手法をとります。

 

そのほかにも、ハタヨガとは違う種類で、修行を重視して行われるヨガや、座って瞑想することで精神性を浄化していくヨガ、人々に対して奉仕活動を行うことで浄化していくヨガ、、、、などなどハタヨガ以外にもヨガはたくさんあります。

 

一般的に、ヨガレッスンとして提供されているものはすべて、ハタヨガの系統です。瞑想もハタヨガの一要素として行われるものといえるでしょう。

 

そういったヨガの種類をベースとして「自分はどういうヨガをしたいのか」をまず考えてみましょう。

 

自分の中のヨガに求めるもの・・・・それはなんでしょうか?

 

やせたい?身体を動かしたい?リラックスしたい?身体のことが知りたい?

 

目的やアプローチは人それぞれです。

 

自分の目的や目標がはっきりしたら、まずは教室を探してみましょう。

自分の気に入った教室が、レッスンの受けられる場所が見つかるまで、いろんなところに行って見ましょう。

 

DVDや本を買って、自宅で練習したのですがどうもうまくいかなくて・・・・という声をよく聞きます。

 

どうしても自宅から出られない、子どもが小さくて一人で出られない、近くに教室がない、いろいろな理由はあると思いますが、最初は直接レッスンをうけられることをお勧めします。

 

まずDVDやテキストでは、自分の気になる部分についての解説が必要十分になされないことが多い。
DVDによっては、必要のない部分を見栄えのみで撮影して、肝心の部分が写されていない(撮影者がヨガの素人だと本当に大事な部分が画像にうつっていないことがよくある)

 

ヨガでは、一般的なエアロビクスと違い、呼吸と身体の動きのシンクロナイズすることが最も重要なので、そう行った部分は、テキストやDVDやテレビなどでは、習得することが難しいのです。

 

呼吸の音を聞き、先生のガイドを受けて最初は難しいと感じたり、うまくいかないことも多いかと思いますが、少しづつ繰り返して体験することで、自然に身につけることが出来ます。

 

歯磨きやお風呂に入ることは、最初は一人で出来なかったはずですが、毎日繰り返し親に教えられることで、自然にできるようになって行きます。

毎日パワーヨガやアシュタンガヨガのフルプライマリーを1~2時間かけてこなす必要はありません。
それは、万人に必要なことではないのです。

 

身体の動かし方とそれにあわせた呼吸の仕方を徐々に習得して、アサナ(ポーズ)をしていない時にも、ヨガと同じような精神状態、身体の状態になれるようになるのが、万人に必要なライフとしてのヨガなのです。

 

最初は、月に一度時間を作ってください。ヨガをする時間、教室に通う時間。
それでは物足りなくなったら、月に2回、3回。週に1回、週に2回。

 

生活の中にヨガがしみこんできます。身体がヨガを必要とします。
ヨガの気持ちよさ、爽快さというのは、一度体験した人でないとなんとも表現しがたいです。

 

どんな感じかしら・・・・?少しでも興味を持ったら、教室を訪ねてみてください。

 

素晴らしい出会いが待っていると思います。

 

いつか、ヨガを知ってよかった!と思ってもらえると思います。

本当の自分を知り、自分らしい生き生きとした人生を送りましょう。

健康で、ココロ健やかにすごしましょう。

ヨガは、そのすばらしいパートナーとなります。

 

 

 

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ヨガとライフサイクル

2008/10/11 14:38

 

秋の空、美しいですね。。。。
日本には四季があります。
この四季のリズムによって、色々なバランスをとっています。
そういう意味でも、日本人というのは古来、繊細な感覚や意識を持っているといえます。

 

秋になると、エネルギーが解放から収縮に向かいます。
生命というのは、開放と収縮の繰り返しで常に変動し動いているものです。
生命エネルギーの性質として、いったん爆発的に開放され限界まで達すると、一気にベクトルは収縮方向へ向かいます。そしてこの収縮運動も極限まで到達すると、今度は一転して開放へと動き出します。そういうリズムがあるのです。

人間にもバイオリズムという言葉があり、広く一般に認められていると思いますが、すべての生命にもリズムがあります。季節は地球のリズムです。地球という生命体のリズムの現れです。このリズムを同調させて、活動するのが賢いエネルギーの使い方といえるでしょう。

 

こういうリズムを端的に、しかももっとも顕著に表しているのが日本の四季です。
このような素晴らしい環境はめったにありません。
私は個人的には、冬はあまり好きではないのですが(笑)これもエネルギーの流れとして必要なプロセスだといえます。開放と収縮はどちらか一方なくしては永続しないからです。そのかわり、収縮(エネルギーがダウンすること)した後には、必ず開放(エネルギーアップ)へ向かうわけですから、いつまでも同じ状態が続かない、=諸行無常という普遍性がすべての生命を貫くわけです。

自分のバイオリズムを環境に合わせて、ライフサイクルを作っていくというのも一つの方法です。

アーユルヴェーダという考え方からいえば、自分のもともと持っている性質と環境の性質(季節や年齢や性別・・・などの要素)をうまく流れに乗せていくと、身体もココロも健康に健やかに過ごせるというのです。
自然の流れ。。。。というのは、人間にはどうすることも出来ない要素なので、この流れを読み、うまく利用していく方法を自分で作るというのが、健康の秘訣でもあります。私の場合、ヨガはそういった人生の生きるヒント的なものを提供してくれます。

 

いろんなことに言及しすぎると、話がまとまらなくなってしまうので、ここではヨガの練習に限って話をしますが、練習の仕方にもリズムが必要です。

同じことをしているように見えても、リズムや流れを捉えている時と捉えていない時では、その後の身体に与える影響や感覚、効果がまったく異なります。
これはその人が、感じているか感じていないかだけの違いで必ず起こっていることです。
自分でその違いや感覚を自覚できるようになるといいのですが、感じていない場合には怪我をしたり、気力が無くなったり、すっかりやめてしまったりするということになります。今のこの、夏から秋、そして冬になる時期には、夏の開放エネルギーが収縮へと向かっているので身体の準備をしてあげることが必要です。

夏はエネルギーが解放される方向なので、身体に悪いとされるもの(食べ物など)もそれほど体内やココロにたまることなく流れていきますから、それほど神経質になる必要はないのです。しかし、冬になるとエネルギーは一気に収縮し、閉じ込めてしまうため悪いものが外側に出て行きにくくなります。
そのため、身体やココロの奥底に潜んでいた悪い要素が蓄積されやすく、ただ蓄積されっぱなしならいいのですが(あんまりよくないか!)、それが開放へと向かう時期(初春先)になるとそれが一気に表面化してきて、体調や精神的な問題が起こりやすくなります。

 

そこで、春先やさらに梅雨などの時期に体調や精神的な変化や不調を感じやすい人は、注意して秋をすごす必要があります。(さらにいえば、夏のすごし方でもコントロールできます)
一年を通じて、自分のもっとも体調を崩しやすい、不調を感じやすい時期にココロを留め、それを解消する方法を見つけましょう。

先ほど述べたように春先に体調を崩しやすい人は、秋のうちにデトックス(解毒)を心がけましょう。もし、夏の暴飲暴食などで体重がベスト体重よりも重くなっていたり、水分の取りすぎなどがあったら、それを元の状態に戻しましょう。食事の管理と、適度な運動、生活習慣の改善でバランスを整えます。

解毒の方法は、体質によりますので、アーユルベーダなどの体質診断を参考にされるのもいいでしょう。そのほかにも、自分はこれをすると体調がいい、というものがある人はそれで整えるので十分です。

ヨガの練習方法も、アサナと呼吸法と瞑想のバランスをとりながら行いましょう。
エネルギーが落ちてくると、アサナ練習の時間を増やしたり、呼吸法・瞑想の時間を短くしたり、長くしたりすることでも十分に質が変わってきます。そして自分に足りないものを補っていきましょう。

普段ヨガの哲学やヴェーダンタ、アーユルヴェーダ、解剖学など・・・・を勉強する時間がない人も、この時期は収縮(吸収)の時期ですから、できればそういったものにも手を出してたくさんの知識も吸収しましょう。じっくりと身についてくるはずです。

冬に身体が重くなる(体重が増える)傾向がある人は、アサナの時間を増やし、食べ物の摂取方法や摂取するものを見直しましょう。重くするようその食べ物は、できるだけ避けるようにします。(油や砂糖など)粗食と軽食を心がけます。

 

私は一年を通してあまり変わらないな~という人、そういう体質の方もいます。
それでも多少のバイオリズムがあると思うので、少し意識してみてください。

 

ここに書いたことは、ほんの一部分だけですし、人によりいろいろな要素があるので必ずしもこのまますればいい。。。というところまでは書ききれていません。

まずは、自分のことをよく知り、そして環境や外側のこともよく知り、その一部としてリズムにシンクロしていくとこが大事です。ヨガはそれ自体が、内側の静けさを必要としますので、そういったことに敏感になってきます。長年ヨガをしているけど、敏感さが芽生えない、感覚が鈍い、という人は、おそらく練習の仕方が悪いか、よい先生にめぐり合っていないのでしょう。

ヨガによって自然に導かれる方向があります。それが生命や自然の流れだからです。

 

天が高くココロが澄みわたる秋の夜長に、ゆったりとした気持ちで座り(座禅・瞑想)、自分自身と向き合ってみてはいかがでしょう。


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Hathaヨガ

2008/03/10 13:37

 



Yogaとは、「Chitta Vrtti Nirodha(チッタ ヴルッティ 二ローダハ)」である。
 
これは、ヨガスートラにある言葉です。
意味は、Stilling the Fluctions of the mindと約されています。
ココロのゆらぎを静めること。。。

これは私がヨガを始めた時から、ず~~っとココロに留めてある言葉です。
自分がヨガを行いながら、迷ったり、何してんだろ・・・・ってふと疑問がわいたとき、
幸福感を味わった時には、この言葉を思い出すといいと思います。

自分の学びの段階によって、こんなシンプルな言葉でさえ、いろんな意味を持つようになります。それぞれの人の受け止め方に従って、受け止めてください。

HathaYogaとは、最初の頃に言ったかもしれませんが、身体を変えることでココロを変えていく手法です。
ココロというのは、とても移ろいやすくつかみどころがない。
ところが、身体というのは、実体がある。現に見える。つかめる。自分の意思でコントロールしやすい。
そこに目をつけて、簡単な部分から自分で自分をコントロールしていくという手法をとるのがHathaヨガの特徴です。

Hathaというのは、2つの単語からなっています。
Ha=ハ=太陽の意味。Tha=タ=月の意味。

ハタヨガの考え方で言うと、身体の中には、太陽と月があります。
(そういうとらえ方でも身体は小さな宇宙なのですね~

身体の右側半分を流れる経絡のような繊細な管、(正確には経絡とは少し違うようです)ナディーといいますが、これが太陽にあたります。
太陽=Srya(スリヤ)これをPingala(ピンガラ)と呼びます。
これと対照に、左半分を流れるのが月=Chandra(チャンドラ)これをIda(イダー)といいます。

なぜ、右が太陽なのか?ってのはよくわかりませんけど、私は多分自然の摂理だと考えます。右側のエネルギーは上から下への動きなのです。そして左側は下から上への動きです。この循環によって(微細な)エネルギーがめぐるわけですが、右上から下へそして下から左上へと上昇します。(つまり時計回りのエネルギー運動です)

上から下へのエネルギー運動は男性エネルギー=太陽に例えられます。
これは、燃焼エネルギーで、身体を燃やす、活性化するエネルギーだといわれています。
下から上へのエネルギーは女性エネルギー=月です。これは冷却エネルギーで、身体を冷やす、落ち着かせるエネルギーといわれています。
どちらもスパイラル状に下降と上昇するので、単純な上下運動ではないと考えられていますが。。。。

身体の中の男性エネルギーと女性エネルギーのバランスがとれている、ナディーが詰まったり、狭くなったりしていないと正常に体内エネルギーが循環することになるのですが、このバランスがいろんなところで崩れると、どこかでエネルギーが途切れます。
その場所が病気だったり、なんらかの体調不良の原因だったりします。

女性が冷え性の人が多いとか、男性が体温が高いとか、身体が冷え性などになりにくいのは、こういったからだの特性、性別による肉体的な違いによっています。
(最近では、低体温の人が多く、肉体的に男性も女性化してきているため、さまざまな問題があることも、こういう考えかたから見ると興味深い意味があるようです)
とはいえ、女性でも男性的な性質が強い人は、男性的な性質や性格が現れますし、男性でも女性的な性質が強い人は、女性的な性質が肉体にも性格にも現れるといえます。
とにかく、いずれにせよそれがその人の性質(肉体的・精神的)なのです。

話がそれてしまいましたが、ハタヨガの重要な要素は3つあります。
これも以前にも話したと思いますが、3つの柱。
1、Asana(Pose)と呼ばれる身体の鍛錬。身体をコントロール、浄化すること。
2、Pranayama(プラナヤマ)と呼ばれる呼吸法。呼吸をコントロール、浄化すること。
3、Meditation(メディテーション)と呼ばれる瞑想法。意識や無意識、ココロやマインド    をコントロール、浄化すること。

コントロールするというのは、落ち着かせること、波をなくすこと、ゆらぎがないこと。
つまり浄化することです。身体もココロも定期的に浄化するメンテナンスが大事です。
この3つを実践することで、チッタヴルッティ二ローダハへと向かうのです。

                ココロ(魂・ソウル)  ← 瞑想
               コントロール
                  ↑ 
     アサナ→身体 ------------------呼吸←プラナヤマ

面白いことに、身体が出来ていてや呼吸の方法やこつをある程度知っているアスリートや、一流とよばれる人々については、身体や呼吸はすでに身についていることなので、あえてAsanaやプラナヤマは必要ではないとさえいえます。 そのため、一流の選手が最後に精神的な強さを身につけるため、滝行をしたり、瞑想を繰り返し行ったりするというのは比較的よく耳にすることです。
ある程度、アサナなどの練習がなれて、身体を満足する状態にもっていったら、瞑想を日常に取り入れることをお勧めします。毎日の生活習慣にするとよいでしょう。

誤解を恐れずにいうと、ハタヨガは、もっともシンプルな身体と心の浄化法です。
磨くというよりも、汚れおとし、清掃です。笑)
日々の生活の中で、掃除と一緒でメンテナンスしてあげなくてはなりません。
とくにココロ(魂)は、人間として社会で生きていく限り、人と人とのつながりなかで生きる限り、たくさんの小さな決意や失敗や傷や達成のなかで、いろんなものを学び身につけ続けます。そのたびに、メンテナンスしてあげましょう。

それが自分が自分らしくずっとあり続けるコツではないでしょうか。。。


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フードファディズムに振り回されない

2008/01/29 18:07

 



今回は、キーワードからのお話ではないんですが、ちょっと気になる話を。。

フードファディズムというのをご存知ですか?
これは、『食べ物や栄養が健康や病気に与える影響を、過大に信奉したり評価したりする事』です。群馬大学の高橋先生という方が日本に初めて紹介概念だそうです。

以前にテレビの健康番組が○○で痩せるとか、放送されるとスーパーや食品売り場でその食品が売り切れ、品切れが続出するという出来事がありました。
あれなんかは、典型的なフードファディズムです。

身体への影響がよいにしても悪いにしても、ことさらに誇大にアピールすることを言います。いずれにしても、職と健康に関する怪しげな理論です。

これらは、3つに分類が可能だそうです。
まず
健康への好影響をうたう食品の大流行
  それさえ食べれば(飲めば)病気が治るとか、短期間で痩せるなどと吹聴される食品が大流行することです。ここ数年でも、にがり寒天。白いんげん、納豆などが思い出されます。
大量摂取の影響を、量を無視して一般化する
その食品に含まれる「有益・有害成分」の量には言及せず、「~によい」「~に悪い}と主張することです。
食品中に極微量存在する有害物質に関して、有害性を発揮するだけの量尾を摂取することはありえないにもかかわらず、健康への悪影響があるかのように吹聴する情報もあります。
反対に、確かに有効成分が存在するけれども、有益性を発揮するだけの量をとることが不可能という情報もあります。
食品に対する期待や不安の扇動
食生活を全体として捉えず、ある食品を身体に悪いと決め付けたり、別の食品を身体によいと推奨することです。特殊な食事法を推奨することも同様です。
また、「人工」「動物性」は悪くて、「天然・自然」「植物性」は悪いとする傾向もあります。

食品を身体によいものと悪いものに二分する傾向が強くありますが、単純な区分けには問題があります。成長期の子供化、成人か、身体運動量が多いか少ないか、いつ摂取するか、食欲が旺盛か、少食か、女性か男性か、などなど様々なファクターによって、よい食品か悪い食品かは異なります。

例えば、ヨガをする人にとってもなじみの深い食事かもしれませんが、身体にいいといわれる玄米を例にとってみましょう。
玄米は精白米よりも多様な栄養素を含んでいますが、消化吸収に難点があります。
胃腸が丈夫出、食欲旺盛な人にとっては、食べ過ぎ防止も含めて玄米は「よい」といえるかもしれません。でも、胃腸が弱く、少食の人の場合、玄米では総エネルギーやたんぱく質、脂質の不足を招くこともあり、「悪い」といえる場合もあるのです。

アーユルヴェーダの考え方(ヴァータ体質かピッタかカファか)や日本古来の食文化の考えである身土不二という考え方で言えば、外国製の食品よりも身近な場所、国内でとれたもののほうが日本人にはあうということになるし、また乳製品が身体に合わない日本人が多い、などやはり、自分はどうなのか?・・・ということを知ることを抜きにしては、考えられないのです。

「植物神話」も要注意です。
動物性食品をすべて排除する食事法がいくつかありますが、私たちは動物性食品も植物性食品もまんべんなく摂取することが必要であり、まして成長期の子供たちから一切の動物性食品を除いてしまうことはとても問題です。

また野菜嫌いの子供たちに、市販の野菜ジュースを飲ませておけば十分だと思っている人もいるかもしれませんが、野菜ジュースは「野菜のしぼり汁」だけを集めたもので、食物繊維やカルシウムは、絞りか酢に多く含まれるため、肝心の栄養素は摂取できませんし、野菜ジュースといいながら、中身はほとんど果物ジュースという商品もあります。そのような都合のよい表示や、品名などにだまされてはいけないのです。

何を食べるか、というのは本当に自分の責任なのです。
子供に関して言えば、完全に親の責任です。
子供は大人である親に与えられた食品で、身体を作り、ココロを作り出すのです。
切れやすい、とか我慢できないなどの問題が出てくるのは、食事、食べ物に関する意識が親に足りないからなのです。
マスメディアだけに責任を押し付けるのではありませんが、フードファディズムに陥らないよう、自分自身のこと、子供のことをよく知り、何をどのくらい食べるのが一番いいのか、という基本を身につけましょう。その上で、羽目をはずすこともたまにはあっていいと思います。

最近わたしは、何を食べるか・・・・というのは大事だとず~~っと思ってきたし、今も思ってるのですが、それより大事なのことがあると思ってます。
どのくらい食べるか、どういう環境で食べるか・・・ということです。
どういう雰囲気の中で食事をし、どのくらいの量を食べるかということが、何を食べるか、(いわゆる健康食や自然食やオーガニックにこだわるのもいいけれど)それはということよりも大事なんじゃないかな~と思えてきました。

みなさんは、どう思いますか??

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そこにとどまる

2007/12/30 21:24

 




今年もあとわずか。
なんとなく、遣り残したことを今のうちにとか、なんとか決着を・・・なんて思ってる人も多いのではないでしょうか?

でも、時間なんて、本当はいつも同じ時を刻んでるのです。
今日を精一杯やって、明日が来たらまた明日。やれることをやるだけです。
キモチの問題ですね。

かくゆう私も、今年は息子がクリスマスから熱を出して臥せっているので、大掃除なんかも全然残ってるけど、しかたないな~なんてココに来て、諦めの境地に達してます。
まあ、きれいにするのに年末も年始も無いから、できる時にするしかないですしね。

さあ、問題をキーワードに戻します。笑)
といって、結構関係してるんですが・・・。

ASANAには、ある程度のとどまる時間というのが必要です。

どの程度かというと・・・・・・・・人によって違いますが、気づくまで。。。。かな。

いろんなやり方のあるヨガですが、まあどんな人にもおよそ時間は必要です。
ASANAの中にとどまる時間。

ソコから見えてくることがたくさんあります。

多分、まず自分の身体の状態。身体のどの辺が辛いとか、こっちのほうは比較的らくだとか、このポーズは自分にはきついとか、先生と同じ形にならないのはなぜ?とか。
前屈はあんまり曲がらないけど、反るほうは結構いけるとか、バランス系は難しいけど、逆転のポーズは好きだとか。

呼吸が苦しいとか、らくだとか。

ポーズのことじゃなくて、仕事のこととか、ヨガのあとの予定とか。

いろんなことを観察したり、考えたりしながらアサナをしていると思います。
または、無心だったり。

ま~、なかなか最初から無心になる人ってのも少ないでしょうけど。

その時に、その中にとどまるってことが大事だけど、なかなかそれが難しい。

例えば、苦手なアサナだと、あまり長くステイしたくないでしょう?
はやく5呼吸おわらないかな・・とか。先生のカウントが終わるとすぐ抜けたくなる。
逆に好きなポーズだと、もうちょっととどまりたいな~なんて考える。

そう考えることがよくないとか、いいとかじゃなくて、そういうふうに考えている自分をとどまることで見つける。いつもより少し長くとどまってみることで、気がつくことがある。

一生懸命にポーズに入っているときは、気がつかないけど、誰かが急に笑い出したり、
先生が面白いことを言ったりして、急に力が抜けることがあるでしょう?
そうすると、ふっと気がつくことがある。

誰かと一緒にやってなくても、少し長めにやってると、気がつかないけどどっか遠くから自分をみたりして、アレ~なんでこんなことやってんのかな~なんて思ったりすることもある。そういう経験がとても大事。そこで発見すること多数。ひとによって違うけど。

そういう気づきを見つけるためにも、少し長めのとどまる時間。
すご~く考えちゃう人は、とても長い時間とどまる必要があるかもしれない。
でも、それはそれでいい。人によって長めの時間も違うから。

とどまってみてください。ためしにアサナの中で。

同じように日々の生活でも、とどまるってことは同じようにリンクしてて重要。
ヨガの面白さは、日々の生活の中にこそ、生かされて自分を変化させるところ。
アサナができるようになったり、気持ちよくなったりするだけではないんです。
(もちろん、それに満足することも必要だし、すばらしいのですが)

ヨガマットの外で、何をするか、何を感じるか、何を行うか。
どうやって生きることが出来るのか、そういうヒントをヨガの練習が与えてくれるのです。

何か苦手なことや、人やそういうものに出会ったとき、普通の人は、出来るだけ早くやりすごしたい・・・・なんて考えますよね。あ~、早くこの会議終わらせたいとか、この仕事さえ終われば・・・・・・・とかね。でも、そういう事柄ひとつ一つの中でとどまってみる。
(私の先生はよく、味わいなさい・・・という言い方をしてたけど)
とどまって、気がついてよく味わうと、次回、同じような苦手なことが起きなくなる。
というか、自分自身の物事に対する考え方やスタンス、捉え方が変わってくるので(徐々にね)同じように感じなくなる。ひとつひとつにとどまって、冷静に見られるから。

で、味わいつくす・・・・というか、徹底的に、そこにこだわって、とどまってみると、突き抜けるときがある。
何でそんなことにエネルギーを消耗しているんだろうと。ものすご~く大事だと思ってたことが、アレ?実はそうではないって考え方もあるな~なんて、急に離れることが出来るようになる。それは、ある意味そういった、こだわりととどまりという耽溺を経験したからこそ到達できる境地というか、順番なんだけど。
そういう経験をしたことがないとなかなかわからないんですけどね。

そういうことによって、自分が「ちょっと嫌だな」と感じることについて一つクリアできることがある。クリアすると、また他の嫌だなとかがやってくるとは思います。笑)
でもそれも練習。同じようにとどまってみましょう。そうやって、自分にとっての困難に対処して、クリアしていくことが出来るようになる。

いろんな人に教えていると、本当にそのアサナへの向かい方、習い方でその人の人となりがわかるものです。

苦しそうながらも、黙って耐えながらアサナをやっている人とか、適当に自分のやりやすい形にアレンジしちゃってる人とか、カウントの途中でも出来ないからってすぐにやめちゃう人とか、出来ないはできないなりにその時はやってるけど、終わった後さんざんどうして出来ないのかを説明してくれる人とか(笑)。

自分の内面と外面(身体や言動など)は常に連動している。結構、わすれてるっていうかわかってるようで、わかってない人が多いみたいだけど。

ヨガは、こころの中で起こっていること、自分自身で気づいていない自分自身のことを教えてくれます。ヨガが教えてくれるっていうよりもヨガを通じて学ぶって言うほうが正しいかな。
そういう部分を揶揄して、ヨガの修行といったりすることもあるけど、自分自身を磨く、発見する、そういう役割を果たしてくれます。
私自身は、ヨガを通して自分自身で気がつくというところに意味があると思うのです。

自分で自分に向き合うって、結構難しいけど、ヨガは誰にでも出来る誰にでも使いこなせる、しかも強力なツールです。

きっかけは、アサナだったり、呼吸法だったり、瞑想だったり、自分の身体の不調だったり、ストレスだったりするかもしれません。

癒されたいという思いは誰にでもあると思います。

でも、本当の意味での癒しができるのは、多分自分自身でしかないのです。

とどまってみることで、今まで「こうだ」と思い込んでいたセカイが、実は、、、、
まるで違っていたということを明日、発見できるかもしれません。

とりあえず、できること、とどまってみませんか?
そのなかで、何か見つけられるかもしれません。

でも、今は見つからないかもしれません。
その時は、それでいいじゃないですか。

とどまること、それ自体に意味があります。

みつからなくても。感じるだけでも。

STAY  HERE NOW

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Tazukoの活動やプライベートについても少し書いてるHPです。

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つながる

2007/11/09 13:11

 




今回のお話のキーワードは、「つながるということ。

ヨガを始めたばかりの人も、長く続けている方も、ヨガっていう単語が、ユジュ=つながる・・・という言葉に
ルーツを持つっていうことは、聞いたことがあるでしょう。

まずは、自分自身がつながること。

そして、周りの人とつながること。

そして、生活する地域とつながること。

社会とつながり、世界とつながり、自然界とつながり、宇宙ともつながる。

なんだか、最後は壮大すぎちゃって意味がわかんないかもしれませんが。笑))

ヨガをはじめてから、このことを知識として知り、実際に行動して実感し、身をもって体感しています。

自分自身が、統一されていない状態。自分で自分のことを知らない状態。
言ってることが、行動を伴っていないとか、行動と言動が違う、などはこれにあたります。
思っていることと、やっていること(行動)が一致している状態がヨガです。

もちろん、一致しているからといって、人から見て、その行動がすべて素晴らしいとか
いいことばかりであるとは限りません。それは、また別の次元の話です。

周りの人、自分の身近な人から始めます。
親、兄弟、夫や妻、子供、祖父母、先生、生徒、友達、仕事の同僚。
そういう人たちと、つながります。
何かの理由があって、そのような縁ができます。これは決して偶然ではありません。

私たちのこと、ただ、自分のことを考えても、自分が今ここにあるという事実。

自分の両親が結婚して生んでくれなければ、ココにはいません。
そして、自分たちの親も、またのその親である祖父母が結婚して生まれなければ
そこにはいません。
その祖父母も、またその両親が結婚して生まれなければ、ここには今の自分はいないのです。

こうして、自分のルーツをたどると、自分がここにいるという事実。

ソウルメイトという言葉、ご存知の方もいるでしょう。

これは、ある種の特別な関係の人のことをさす場合もあるようですが、そうではなくて。
自分の周りに今いる人、かかわってる人、すべてソウルメイトと考えていいでしょう。

おそらく、もとのもとのもと・・・・・とたどっていけば、人間は始まりは数人だったに違いありません。

そう考えると、本当に今これほどいる人間のすべてが、いつか、なんらなかのカタチで繋がっていなかった
ということを考えるほうが難しい。

そういう意味でも、また現にコレだけたくさんの人間がいるこの現在で、自分という人間が一生の間に
出会う人のひとりひとりが、自分にとって何らかのご縁がない、とは考えにくいでしょう。

そうすると、やはり自分を取り巻く人々、かかわりのある人というのは、いろんな意味で、全員がソウルメイト
なのです。

お互いに、メイトから学んでいるのです。よいことであろうと、わるいことであろうと。
自分はどういう人間であるのか、ということを思い知るために、教えてくれています。

自分に接する、あらゆる人から学びがあります。

私たちは、それによって自分が何者であるか、どうでありたいか、どうすればいいのか、
ということを常に学びながら生きています。

それこそが、ソウルメイトです。

そういうつながりの中で、周りの人と繋がることで、自分の中の自分とつながり、しり、わかることがあります。

そうすると、必然的に、自分がいる場所についても繋がることがより広い世界や視野をもたらしてくれます。

なんらかの理由で、そこにいる意味があります。

そこで起こる問題があれば、それにも意味があります。

それは、繋がることが前提です。人や地域と繋がらない場合には、意味や問題などは起こりませんから、
そこにありながら、自分に必要な学びの機会を失うということになります。

たいがいは、その理由は、自分から起こっていると考えて間違いないでしょう。

天災などの不可抗力の場合は別にして、いいことも悪いことも、自分が撒いた種が発芽しているにすぎませんから
自分のまいた種を、ようく探してみることが大事です。

このように、自分から始まる探す旅は、どんどん自分の外側の世界へ果てしなく広がっていくことが出来ます。

そのたびごとに、外へ広がるたびごとに、おそらく自分の内側を知ることになるのです。

ヨガは、このような旅をすすむのに、とても役に立つ道具です。

あるときは、旅のヒントをくれたり、感情を穏やかにしてくれたり、冷静さをもたらしてくれたり、
地図をくれたりします。喜びや、もしかすると悲しみもあるかもしれません。
厳しさや、あたたかさもあるでしょう。

よく日本人が、外国で暮らし、もどってくると、外に出て初めて日本のよさがわかった・・・・っていうことが
ありますが、まさにアレです。

自分の中にこもっているうち、自分の中だけで解決しているうちには知らないこと、わからないことは、
外に出て行って、外の世界をみることで、内側(自分自身)というものをより深く理解できるのです。

人とかかわって、社会と繋がって、さまざまなことを知ることで、自分というルーツをよりよく理解することができます。

繋がるには、踏み出すことが第一歩です。

それは、自分自身で行動するしかありません。

まちがっても、なんでも自分で決めて自分で行動することが大事です。

結局繋がってますから。

自分が発したものが戻ってきます。もどってきても、自分が発したものだから仕方ありません。

発することがない人には、戻ってくるものはなくなります。

与えなければ、与えられないのです。


呼吸は、吐き出すことで、自然にまた吸う息に戻るのです。意識しなくても。

EXHALE、

INHALE、

 BREATHE DEEPLY!!








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Grounding(根付く)

2007/08/17 00:15

 



さて、いよいよ楽しい夏も終わり9月になりました。
私は個人的に秋が大好きですが、季節の変わり目には身体の適応反応と相談しながら、ココロと身体の準備をしてやることも必要です。
季節も身体も変わります。人間にも季節にも、地球にも、変化あるものには、すべて生命があります。動きのあるものは、命そのものです。

前回は、スペースを作るという、かなりヨガの根本的なアイデアについて少しお話しました。そういうことについては、語りだすときりがなく、もっともっと話したくなってしまうのですが、そういった数あるキーアイテム、キーとなるアイデアのうち、もうひとつ・・・・・・Grounding地に足を着ける、根付く)というアイデアについてお話します。

ポーズをする時に、足がマットについてますよね。(お尻だったり手だったり頭だったりすることもありますが・・・・・・・・・・)
足がしっかりと根付く、これがAsana(Pose)の中でも大事なポイントの一つです。例えば、ヴィラバドラアサナⅡについて考えてみましょう。
(両脚は、前後に開き、前脚の膝を90度にまげて後ろ脚は強く伸ばし、両手も脚と同じで前後に開きながら骨盤は身体の前後ではなく横に向け顔は手の先を見るポース)←これでわかりますか??

両腕も前後に伸び、両脚も前後に伸び、90度に曲げた前脚のほうに身体の重心が重く乗りそうな感じになりますが、それを後ろ足がグラウンドすることでバランスを保ちます。ヴィラバドラⅡの絶妙なバランスと力強さは、後ろ足のグラウンドによって決まるのです。自分の中でバランスが取れているようでも、鏡で見ると前脚に重心がかかりすぎている。全体的に前のめりになっているということがあるでしょう。
これは、後ろ足のグラウンドが死んでいるからなのです。
もちろん、前脚の支える強さも、後ろ脚の引く力も同時にどちらも必要なのですが、
ポーズの勢いとしては、顔の向いている視線の方向、前脚、こちらに力が入ります。エネルギーの向きもそのようにみえます。

しかし、実際にこのポーズで大事なのは、影で支える後ろ足なのです!
この根付きが、しっかりとしていないとポーズが生きてきません。
骨盤からしっかりと天(ソラ)に伸びた背骨、そして下半身は、しっかりと前脚が開き、後ろ足のグラウンドで支えられているのです。大地(地球)と繋がっているのです。

すべてのポーズには、大事なバランスポイントがあります。
重力に逆らって引き上げる力、そしてグラウンドする力(重力の方向に向けるチカラ)。この両方のバランスがポーズを生かしも殺しもするのです。

ジャンプする時のことを考えて見ましょう。
ジャンプするには、ソラに向かってただ飛べばいい?No!です。
それでは、思い切り高く飛ぶことは出来ません。

まず、地面を踏んで(グラウンドして)、大地にエネルギーを与えて、その反射としてエネルギーを大地から受け取り、人はソラに飛ぶのです。
まず自分が与え、そして受け取ることが出来るのです。

ヨガでは、アサナを教え始める時、まず強い下半身を造ることを目標にします。
安定した下半身が出来て初めて、様々な難易度のアサナが安定して呼吸とシンクロしながら維持できるからです。
股関節や、骨盤にフォーカスすることが多いのは、そのためです。

ですからまず、自分がしっかりとアサナの中で根付いているか?ということを意識してください。根付きが足りないとバランスが悪く、チカラ強さを感じることが出来ません。ベクトルの方向を常に意識してみてください。

生徒さんを見ていると、まあ、「脚」の使い方はそこそこ出来ていても、「足」の使いかたが出来ていない人が多いです。自分の身体の癖を知り、自分なりの脚と足の使い方を考えてみてください。それが怪我せず、グラウンディングするチカラを身につけるためには必要です。

さて、ここまでは身体の話。
では、ココロのような自分の内側の話もやはりヨガでは必要です。

ヨガをしていると、「すべての答えはすでに自分の中にある」・・・・・・っていうことがわかるっていう体験をする人が結構多いです。
身体や感覚を研ぎ澄まし、ココロを穏やかに静めると、すでに自分の中にあった、探していた答えが、ふっと目の前に現れてくるのです。
内側が、グラウンドするっていうのは、ちょうどそういう感覚です。

根っこに近づく・・・というか、深いところで静けさを見つける。

アサナだけでなく、何かをしてる時、その深いところの静けさを知っていると、時々現れては消えたり、流れていく雲のように、マインドがザワザワしてしまっても、やがて青く澄み渡った空が見えてくる、ということがわかっているので、待てるようになる。自分のマインドに振り回されることがあっても、またその後ろには、晴れ渡った本当のソラ(自分)があることを知っていることが、力強さであり、バランスとなるのです。

私は、自分のヨガの先生から「ヨガツリー」というのを教えてもらいました。
(これはアイアンガー先生のヨガ・ツリーからきているのですが)

それ以来、私は樹木が大好きになり、よく、人間も樹木と同じだな~と感じるようになりました。
人として芽が出て、幹を伸ばしていくと、空に向かって大きな枝を広げ、葉や花を咲かす。でも地表に出ている以上に大きくて立派な根っこを伸ばしていないと、ちょっとの風や、干ばつなどで、たちまちその樹木はだめになる。花やそしておまけで実まで立派につけたとき、その実が、また次の世代の、種となるよう大地に還り、また芽が出て、立派な樹となる。
人間は、いかに目に見える、表に出ているところだけ立派にしてもだめ。
人の目に見えない、根っこを立派に育てることが、一番の目標。

花や実は、ひとそれぞれ、いろんな花や実がなります。
それは、その人の生命の表現力。自分自身の表れそのものなのです。
大事なのは、大地の下にある根っこ。自分で自分の根っこを作りましょう。

そうすると、や干ばつやさまざまな試練にも、びくともしない自分自身ができていくでしょう。

ヨガで学ぶアイデアは、本当にすべて身体とココロとマインドと魂とシンクロしています。すべての見方は、身体とココロに当てはまります。

それが、ヨガの深さの一部であり、醍醐味の一部なのです。

あ~~、なんて深いんだ。なんて面白いんだ。

ヨガって・・・・・・・。


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Make Space(スペースを作る)

2007/08/05 01:08

 



随分ご無沙汰してしまいましたが、みなさんはいかがお過ごしでしょうか?

私は個人的には、家族で夏休みを過ごしていまして夏をいろんな意味でEnjoyしております。

さて毎回テーマを考えるとき、世間の人はヨガのどういう部分を知りたいのか!?ということを考えます。ヨガの何に興味があるのかな~と。

で、よく聞かれる質問。

①身体が硬いのですが、大丈夫でしょうか・・・・・・・?(不安)
②痩せますか?(期待)

①身体が硬い人は、柔らか過ぎる人よりも、一定のアサナの習得が早い可能性があります。
硬い人がやわらかくするには、毎日続けることで柔軟性を習得すれば一定のアサナは簡単に出来るようになるのですが、柔らか過ぎる人は、もともと柔軟すぎる身体なので、強さと芯を身につける必要があるため、硬い人よりも苦労する場合が多いのです。

②ヨガのクラスでハードに練習を重ねて、自宅でも欠かさず練習し、食事に気をつけて、呼吸法や瞑想も忘れず実行すると、痩せます。笑)
ただし、これは短期的なおまけでしょう。長期間継続的に練習をする段階になると、やせるというよりも、その人にふさわしいあるべき身体に近づきます。
今現在痩せすぎの人は、太る可能性もあるし、太っている人は痩せる可能性もあります。
同じような動きを長期的に続けると、特定の筋肉だけが肥大するので、腕や足などの部分だけがたくましくなっちゃったりもします。ただ、すべて自分次第。これは、当然の理屈ですよね~。

そして、よく出る感想。

①思ったより、身体動かすんですね・・・。(ハードだった??)
②呼吸法が気持ちよかったです。
③私も、続ければこんなポーズやあんなポーズ(センセイのように)できるようになりますか?

①ヨガにはいろんな種類があるので、すべてのものが身体を動かすわけではありませんが、最近の若い人が好むヨガでは、とくにパワー系のものや汗をたくさんかくホット系のもの(岩盤浴でヨガなんてのもすごいですよね・・・)、ダンス系のものやマーシャルアーツ系、などなど~たくさんのファッショナブルなものがあり、ハードな楽しみ方もあります。
逆に、リラックスや身体のアライメントを正すような矯正系、セラピー系のもの、
呼吸や瞑想中心のスタイルもあります。
好みや気分、自分の好きなスタイルのヨガをいろいろ選べる楽しい時代です。

②呼吸法に興味がありまして・・・と来る方も結構おられます。
なんとなく、精神世界に片足をつっこんでしまったような雰囲気を持ってこられるのですが、呼吸は、身体とココロをつなぐ橋です。そういう方は、身体を忘れて、心の世界だけに直接飛び込もうとしているようで、少し心配になります。
いつもは意識しないからだの奥深い部分を刺激して、自分の内側に向きあうための大いなる道具なのです。呼吸法を気持ちいいと感じられるというのは、今まで向き合わなかった自分の内なる静けさにほんの少し触れ合えたという心地よさから来ているのです。

③ヨガマスター、アイアンガー先生も言っておられますが、完璧なAsanaというのはこの世に存在しない、ということです。センセイといえどももちろん、完璧なアサナを行えるわけではありません。常に完璧目指して意識を、身体を精神をソウルを集中して、ソコに向けているのです。
本当にきちんと続ければ、身体は柔軟性を取り戻すでしょう。
自分の中の、行きたい場所、目指すところにはいけるでしょう。意思と行動力〔アクション)によって。
人の身体は、大きさや背丈などでもわかるように、人種の違いなど骨格の違いなどからも大きく異なります。同じアサナを行じていても、同じようには見えないということも実際にあります。誰かと同じではなく、自分なりの目標を持ってAsanaに取り組むほうがいいでしょう。


さあて、今回はヨガをより快適にEnjoyするための方法論であり、目的論である
Make Space(スペースを作る)ということについてお話してみようと思います。

ヨガには、いろいろな効用がありますし、いろいろな方法(スタイル)があります。

中でも大事なのが、この「スペースを作る」というのがKeyです。

身体的には、ヨガアサナを行うときに、いろいろな関節や筋肉を動かしますが、まず関節を曲げる前に筋肉を伸ばしたり寄せたりして関節と筋肉の間にスペースを作ってから曲げてやる、と怪我などのトラブルを避けられるし、何よりも普段よりもちょっと深めに曲げることが出来ます。
これは、筋肉的、皮膚的なレベルですが、内臓や背骨などのレベルについても同じようなことはいえます。
内臓レベルでは、ウディアナバンダやナウリなどの方法によって実際に体内にスペースを作ります。日ごろ、自分の内臓が下垂気味だな~なんて感じることありませんか?身体が疲れて筋力や体力が低下し始めると、内臓を支える肉布団のチカラがなくなり、それに乗っかっている内臓が骨盤方向へ落ち込んでいくのです。
すると、ますます内蔵の機能は低下するという悪循環に陥ります。ヨガには、ウディアナとかナウリとよべれるクリヤ(浄化方法)があり、コレは、同時に体内圧力をあげて、内臓などを支える筋力を活性化、鍛えるという働きもあります。
背骨レベルでは、骨格を意識してアサナを行うことで、関節の動き方を正しく理解し、脊椎の一つ一つの間にスペースを作るように意識することで、より繊細なプラナエネルギーが体内で活性化するという働きがあります。

そして、身体レベルと同様に大事なのがココロレベルのスペースです。
ある意味では、身体レベルよりも大事だといえるでしょう。

例えば、あるアサナを上手にできるようになりたいと思っている人がいたとします。
すると、その人は毎日毎日、しっかり練習してあっという間にそのアサナがとても上手にできるようになりました。
さあ、しかしアサナの練習以外のことはどうでしょう?アサナができるようにあなりたいと強く思うあまり、そのことだけに没頭してほかの事をおろそかにしてしまったらどうでしょう?ヨガのことだけを考えて、日々の生活のことや仕事のこと、あるいは大事な友達のことや大切な人や家族のことを無意識にやり過ごしていたとしたら、それはココロにスペースが足りないということなのです。
今はヨガの練習にたとえたけれど、これは日常の生活にもあてはまります。

仕事がとても忙しく、一日中飛び回っている。
彼氏や彼女のことが一番大事で、いつもそのことばかり考えている。
欲しいものや、お金のことばかりが気になってそのことで頭が一杯だ。
時間がなくて、急がないといけないのに、車や電車が進まないとあせっている。

こんな状況もまさに自分のココロの中にスペースがない状態。
仕事であろうと、彼女彼氏であろうと、お金やものであろうと、時間であろうと、同じ。
いつもそのものが頭(マインド)の中を占領してしまって、自分自身がその一つのアイデア(考え)にのっとられている状態では、自分自身はどこにいるといえるのでしょう?
あなた=仕事ですか?
あなた(彼女)=彼氏ですか?
あなた=物、お金ですか?
あなた=そのアイデア(頭の中に占めているもの)ですか?

No!!あなたは、あなた自身であり、アイデアではない。
あなた自身をアイデアだと勘違いしてはいけない。
あなたは、あなた。相手は相手。アイデアはアイデア。
浮かんでは消える幻。。。
あなた自身は幻ではない。

これらの誤解は、すべて自分の中に浮かんでは消える単なるアイデアを自分自身だと勘違いすることから起こる悲劇です。
自分がいるところ、そして、マインドの流れをしっかりと見定めて、冷静に状況を判断することができるには、自分という存在とマインドに浮かぶアイデアとをまず、しっかりと分けて区別できるよう、スペースを作ってあげることが大事なのです。

ヨガはそれを可能にするすばらしくも、簡単なツールであるといえます。
そして、そのようなスペースが身体と心に保たれている状態がヨガのある段階の目的であるとも言えます。

ヨガの実践、練習の中で大事なKeyは、Make Spaceです。

常にSpaceを自分の中と外に作るように心がけ、意識してみると、大きな発見があると思います!



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ヨガと健康と食べ物

2007/06/19 13:34

 



というのは、ヨガに限らず人の人生の中でかなり大きなウエイトをしめていて、またその人の人生観や生き方をとても顕著に表すものだと思っている。
時々、あまりよく知らない人と食事を一緒にすることがあるとき、この人は何を食べられないとか、何を食べないのだとか、菜食だとか、魚しか食べないとか聞くと、その人に対して興味がわく。どういう人なのかな~って。

食べられない理由やあえて食べない理由を聞くと、身体に合わないとか、気をつけているとかいろんな理由がある。

ヨガを続けていくと、自然と「」ということについての意識が変わっていく。

よくヨガをはじめたての人が、私はタバコがやめられない、ヨガをするならやめなきゃいけないですよね・・・・などというのを聞くのだけど、やめなきゃいけないってことはない。。。。。正しいヨガのやり方をしていると、やめたくなるのである。
口からはいるもの、身体に取り込むもの、身につけるもの、自分を取り巻くいろいろな環境について敏感になるのである。

ヨガをする人が、肉食をしない理由は、主にAhimsa(非暴力)殺生をしないというところから来ているのですが、まあ、他にも大地のエネルギーを直接とりこむために、植物である野菜だけ食べるだとか、食物連鎖の一番下である自然エネルギーの高いものだからとか、連鎖の頂点へいくと農薬とか毒素などが濃縮されてしまうので、連鎖の低いほうが身体にいいとか、いろいろいろいろ~~な理由も考えられます。理由は、ヨギをとってみてもそれだけいろんな理由があり、また一般のアスリートでもやはり実践的な理由から高たんぱくなものはとらない、肉はトリのささみ少々をサラダに入れてを時々しかとらない。。。。などなど、いろんな人を知っていますが、身体の感覚や意識が敏感なひとほど、やはり何らかの「ダイエット」(日常的な食生活としての)を習慣にしています。

さてさて、では、ヨガにおいては実際どうなんでしょう?
Mitahara(ミタハ-ラ)」といって、ダイエットコントロールを推奨しています。
  Mita(ミタ)=制限された分量     Ahara(アハーラ)=ダイエット

を意味し、ほどほどのダイエットを意味するとされます。

人にとって、ダイエットコントロールというのは、もっとも困難な実践の一つである。というのは、『食べる』という行為自体が、肉体の飢えを満たし、必要な栄養素を補給するためだけにあるのではなく、感情的な反応のひとつとして働くからである。そのことが、肥満の原因になるばかりでなく、体質に合わない食物を不必要に摂取することで、身体を過剰に働かせ、身体機能に負担をかけてしまうのである。そこで、身体を整えるために、ヨガにおいても適度なダイエットの実践が進められているのです。

ほどほどなダイエットとは、多すぎず少なすぎずということ。
味の濃いもの、スパイスや酸味、塩味の効いているものはすぐに食べ過ぎてしまう。甘いもの、チョコレートやアイス(砂糖の効いたもの)やコーヒーやアルコールなどは、中毒性がある。食べれば食べるほど、もっと食べたくなる。
多量に食べ物を摂取すると、胃が拡張し、筋肉のトーンレベルを落とすので消化のプロセスが妨げられることになる。便秘なども食べすぎの直接の結果だと考えられる。

これらの過剰な食物摂取は、多くの粘液を作り出す。すると代謝に時間や手間が余計にかかるので、余分なエネルギーが消費される。
これが、タマス(怠惰性)を増大させるのである。
ヨガを実践するものは、いつも感覚鋭く、鋭敏でいることが好まれる。そこで、食事は適量で、タマスに流されないようにしなければならない。

一般的なルールとして、ヨギは、胃の1/3~半分が食物(固形物)、1/3~1/4が水分(水などの液体)、残りの1/3~1/4が空いていることといわれている。(書物によって1/3か1/4かが分かれているので)
これはつまり、日本人の昔からの伝統、腹八分目というのと同じと考えていい。
食後に身体を休めなくてはならないようでは食べすぎということである。

食物の質は、自分の好みに合っている必要もある。消化されやすく、刺激物はあまり摂取すべきではない。(アーユルヴェーダによる体質診断などをすると、自分の好みや身体に合う、合わない、などがわかります)

ヨガでは、低タンパク質、高炭水化物の食事が推奨される。たんぱく質は、腸内で腐敗しガスを発生させ、排泄系の機能を妨げるのである。一方、炭水化物は腸内でも外でも腐敗しない。実際にでんぷんや糖質が腸内で発酵すると酸が発生し、バクテリアによる腐敗作用を抑制する。そのため、炭水化物は毒素のない食物として知られているのである。

大多数の種類のフルーツやマメ科の植物や野菜は、ほとんどたんぱく質を含んでいない。それらは、毒素を含まないだけでなく、毒素を抑制する働きを持つ。特に、フルーツは体内を浄化する成分があることが古代から知られている。
フルーツを用いた食事療法は、慢性の腸の機能障害に有効である。

前述のように、肉食をしないというヨギの主な理由はアヒムサなのだが、実際の理由として、すべての肉類は高たんぱく質で、急速に分解して毒素を作る。実際に身体が必要とするたんぱく質というのはごく少量であり、菜食の食事でも十分摂取可能な量なのである。

一時期、ロウフードなるダイエットももてはやされたが、それも人によりけり。
ロウ(=生)の野菜やフルーツのみを食するというのだが、これはアーユルヴェーダの考えからすると、体質によって合う人と合わない人があるので注意が必要です。

あとは、食べる環境。静かで穏やかな気持ちで、楽しく食事することが消化を助け、身体への吸収をよくし、穏やかな心で調理された出来立ての食べ物をいただく。自分のために作る食事や、家族のために作る食事は、心穏やかに愛情こめてつくりましょう~それだけで、本当に身体によい食べものになるのです・・・。

そして、食事はヨガの練習が終わった後にしましょう。
ヨガの直前と、直後の食事はさけましょう。(後もしばらくは休めて!)
Asanaなどのヨガの練習の前に食事を取ってしまうと、消化という働きが滞ったり、鈍くなったり、あるいは身体の感覚が鈍くなったりします。それは、ヨガの練習にはふさわしくない状態です。
食事を取ったら、しばらくはヨガの練習を休みましょう。そしてまた空っぽなお腹で練習を再開しましょう。

ヨガでは、時間を空けて大量に食物を取るよりも、一日を通じて頻繁に少量の食物をとることが推奨されている。理想的には、右側の鼻の通りがいいときを食事時間にすべきだとされている。
これは、参考のため。。。

今回は、ヨガにおける食べ物の考え方を示しましたが、ヨガとアーユルヴェーダでは微妙にその目的が違うため、食事のルールも違ってきています。
その辺については、また次の機会に詳しく・・・・。

参考文献:Applied Yoga  M.L.Gharote 相方ひろし訳


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見えないものを感じる

2007/06/01 23:56

 



月の形は本当は球であって三日月に見えているのは、光が当たっていない部

分が見えていないだけである・・・ということを私たちは知っています。

眼に見えないもの=存在していないというわけではないということですね。

眼で見るということも、五感のひとつですから感覚が鋭ければ鋭いほど、よくみ
ることができます。というのも、みるというのは、実は眼で見ているだけではなく
その他の器官によって助けられているのです。だからこそ、眼の見えない人で
も他の器官が発達することで、まるで眼が見えているかのように行動すること
が出来る場合があります。

このように、感覚というのは訓練によってとても鋭くもなり、使わないことによっ
て鈍くもなるのです。対象物をただ見ている場合やすべてを見ようとして視野を広くその対象物を中心に広角にみている場合など、同じ見るという行為でも、その人の意識によって捉えられているものは実は同じではないのです。

身体の感覚は、脳の中で分析や統合を繰り返し、私たちにフィードバックしてきます。こういう信号が来てますよ・・・・と。そのフィードバックを受け取って、あら、頭が痛い、それをつかむ、手足を伸ばす・・・・などの「反応」へとたどり着きますが、これらの「反応」は、脳の中に蓄積されている過去のデータから似たようなものを取り出して分類され、無意識的に起こっているのです。

無意識の反応は、意識的な行動ではありません。
ヨガは、私たちの「反応」を「行動」に変えることを要求します。
無意識を意識に変えて、反応ではない行動をもたらす訓練となります。

自分の内側を感じさせてくれます。自分というものを気づかせてくれます。
自分自身をコントロールできるように訓練されていきます。

ここに世界的に有名なヨギ、B.K.S.Iyengar師が近年のインタビューがあるので、意訳し抜粋してみました。すべてのヨガプラクティショナーに有益だと思います。

「われわれは、知識と知覚は脳の大部分を占めていると考えているが、ヨガは知性と気づき(意識)が身体に浸透しなければならないことを教えてくれる。
身体のあらゆるパートは知性によって飲み込まれなければならない。
身体意識と頭脳の意識を統合させ一致させなければならない。
二つの部分が調和しないとき、断片的な感覚や病気に導くのである。(中略)
ヨガはいかに動きに意識を注ぎ込むか、行動を意識的に変えるかということを教えてくれる。事実「Action」=「Asana」として紹介される動きは、知性として刺激を与える。われわれが、アサナというアクションを導くとき、身体のどこかの部分が許可なく動き、知性はコレにたずねる。「コレは正しいのか?間違っているのか?」もし間違っていればどのように変えればいいのか?」と。
いかにしてこの知性(意識)を発達させればいいのだろうか?
どのようにして単なる動きをアクションに変える方法を学べばいいのだろうか?
アサナは、われわれに教え始める。
あらゆる皮膚の毛穴までが、内なる眼として働くようになるような鋭い感覚を発達させる。皮膚と筋肉の間の表面にまで敏感になる。このように、意識は身体の外側を通して発散され、特定のアサナが正しいポジションにあるかどうかは別にしても、敏感になることは出来る。
われわれは、身体のこれらの眼によって穏やかに内側から助けてバランスをとることが出来る。これは通常われわれのもている2つの眼では難しいことである。身体の位置を「感じる」ということなしにしては。
例えば、ウォーリアーポーズで腕を広げてたつ時、目の前にある指を見ることができるだろうが、同時にそれらを感じることもできる。その位置と指先の正しい伸びを感じることが出来る。また、後ろ足の位置を感じて、後ろを振り向いたり鏡で見ることなく、その後ろ足はしっかりと伸びているかどうかも教えてくれる。
あなたは身体を観察し、細胞の一つ一つのもつ幾億もの眼のチカラを借りて身体の位置を正さなければならない。これが、身体に意識をもたらし筋肉と脳の知性を融合させ始める方法です。
この知性は、身体のあらゆる部分に存在し、アサナを通して現れるべきである。皮膚の感覚を失った瞬間、アサナは鈍く知性の流れや湧出は失われる。身体の敏感な意識と頭脳とココロの知性は、調和すべきである。脳は身体にポーズをとらせるが、心もそれを感じていなければならない。頭は知性の座であり、こころは感情の座である。
両方とも強調して身体で働かなければならない。それは意志の働きを要求するが、脳は身体の声を聞き、身体の許容範囲で何が意味があり思慮深いかを理解しなければならない。身体の知性は本物である。現実である。脳の知性は、想像力だけだ。想像力は現実を作らなければならない。脳は難しいバックベンドができることを夢見るかもしれないが、意思のある身体に不可能を無理強いすることは出来ない。われわれは、常に進歩を求めるが、内なる強調が不可欠である。
脳は言うかもしれない。「それはできない」だが、膝は言う。「私に命令するあなたは誰?それができるかどうかを言うのは私よ」
われわれは、身体の言うことを聞く必要がある。時々から打破強調するが、しばしば考えすぎる。もし必要なら、知性を反映するように使わなければならない。解決方法は、たとえ最初は挑戦と失敗を通じて生じるとしても、それ自体に存在する。そのときほんとうに、身体とこころの間で理解するだろうが、これは、脳の謙虚さだけでなく、身体で理解するということを要求する。脳はすべてを知っているわけではない。もし、脳が身体の知恵を受け入れたら、身体の知性はのちのち増すことになる。このように、身体と脳はアサナを習得するために一緒に働き始めるのである。
これが、つまりわれわれのすべての存在が互いに強調して働き、混ざり合い溶け合うプロセスである。溶け合うことによって、存在のすべてのレベルで、身体の筋肉や鞘にいたるすべてがお互いにつながり連絡をとりあうようになるということである。これが、身体と心が一緒に働くということを学ぶ方法である。(以下略)」


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